事故で1日記憶喪失になりました。

実話


18歳の時に、大きな事故で1日記憶喪失になった時のお話です

夜の23時頃、私は仕事から帰る途中で事故に合いました。

私の地元には、無料の80キロ制限の道路があり、いつもその上の道路を通って家に帰るのですが、
その日は違う道で帰りました。

真っ直ぐ進むと80キロ制限の道路、右に曲がると下道の国道

私は右に曲がりました。

そして、右折しようとした時に真っ直ぐ降りてきた車と衝突。

私の車は衝突した場所から5メートルほど離れた所まで飛び、私は車の中で身体が宙に浮き、
運転席から助手席のダッシュボードの下に身体が入っていたみたいです。

当時の記憶は全然ないので、周りから聞いた話を今書いてます。

私はダッシュボードの下で身体を丸めて動けなくなっていたらしく、事故の相手の方が車から出してくれました。

そして、相手の方が私に「大丈夫ですか?立てますか?」と聞いたら、
私は「大丈夫です。すみません。」と言って自分で歩道まで歩き、そしてそこに座って電話していたそうです。

私は父に電話をしていました。

「事故った」

「え?誰が?」

「事故った」

「どうしたんだ!おまえは大丈夫なのか?!」

「事故った」

父「救急車の音が聞こえて来たぞ!お前が事故ったのか?!大丈夫なのか?!


ここで、救急隊の人が私に話しかけている声が聞こえて、電話が切れたそうです。

この時の父の気持ちを思うと「本当にごめんなさい」と今でも思います。

そして、私は救急車に乗った後すぐに意識を無くして意識不明になりました

父は私にずっと電話をしていたみたいで、私の携帯に救急隊の人が出て病院や私の状況を教えてくれたそうです。

そして、このやりとりも私は全く記憶にないです。

唯一記憶があるのは、「頭の〜に注射打ちます」と聞こえたので「注射だけはやめてください」と答えた記憶はあります。

でも、これも遠い記憶のような夢のような感覚なので、ハッキリとは覚えてないです。


目が覚めると目の前には家族がいました。

おばあちゃんは凄く泣いていて、お母さんもすごく泣いていました。

父は「大丈夫だ、何も考えるな。そして何も心配するな」と言いました。

記憶がない私は何が起きてるのか分からないけど、父の言葉で何かやらかしてしまったのは分かりました。

身体を動かすっと全身が痛み、ベッドの横には心電図。

枕の上に置かれた新聞紙には血がついてました

それを見て、何かやらかした以上の何かをやらかしたのかもしれないと色々思い出そうとしても、全くなにも思い出せないのです

父は私が事故にあったと教えてくれたけど、あまり深くは教えてくれませんでした。

そして、私のいた病棟は「HCU」と言う病棟で、面会も家族のみ15分。

家族以外は面会謝絶した。

入院中、看護師さんに車椅子で診察室まで連れて行ってもらい、診察するのですが、
その時、お医者さんのパソコンからカルテがチラッと見えたので、ちょっと読んでみる事に。

そこには『救急車の中で、救急隊の質問に応答なし、意識不明。麻酔打つ時、「注射はやめて」と答える』と書かれてました。

そう、何を隠そう私は注射が大の苦手なんです。

夢かもしれないと思ってた遠い現実は、夢ではなく、ただの恥ずかしい現実でした。

カルテ見なきゃ良かった…。 

「注射やめて」だけ言い残して、また意識なくすとか恥ずかしすぎる。

お医者さんが教えてくれたのは、私は全身打撲で、頭は4針縫い、右肘右膝の靭帯損傷と言われました。

今思うと本当に生きてて良かったです。


車は新車でしたが廃車になりました

左側のドアは外れて、タイヤはむき出し、タイヤのサスは完全に外れてました。

こんなに大きな事故なのに、全く記憶にない。

なんなら、その日の朝からの記憶がないです。

人は、本当に記憶喪失になるんだなぁ〜と思った出来事でした。

そして、10年以上たった今も当時の記憶は全くありません。

ちなみに、当時事故をおこした場所に信号機がなかったのですが、あまりにも事故が多いので、今は立派な信号機が出来ました。

おしまい。

おまけ。

当時、携帯の着信音を「渡る世間は鬼ばかり」にしていたので、救急車の中で何度も「渡る世間」が鳴り響いてたと思うと若干恥ずかしかったです。

いつもは、ディズニーとか可愛いのにしてたのに…何故か事故に合う前日に「渡る〜」にしてしまってた…なぜ…「渡る〜」にしてしまったんだろう…。

でも、そう思えるのも無事生きていたから。

家族には本当にごめんなさいを今でもします。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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